2013/11/27 ソロモンの箴言への付加2

箴言26:1-28
1-12は「愚か者」、13-16は「なまけ者」で統一されている。
1-12 「愚か者」は、旧約七十回、箴言では四十九回
伝道者の書十八回、詩篇三回のみ。まさに箴言的な用語だ。ここでは十一回、注意深く読めば、箴言の著者が考えている「愚か者」がどんなイメージか浮かんで来る。
1-3 愚か者と名誉とは関係がない。ふさわしいのは、名誉ではなく、むちだ。愚か者に名誉を授与するのは、愚かな社会の特徴だ。

4-5 6_愚か者には、その愚かさにしたがって答えよ、答えるな、どちらだろう。答えるなのほうは、まともに答えれば、自分も愚かになってしまう。答えよの方は、自分も愚かにならなければ、愚か者を自覚させることとはできないだろう。愚か者を導きたいなら、自ら愚か者となれ。ただし『十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであってもーⅠコリント1:20』。このような愚かになるな。
6-12 愚か者の描写がつづく。『自分の足を切り』『足なえの垂れ下がった足』『酔った人が手にして振り上げるいばらのようだ』なんとも役に立たない。  『犬が自分の吐いた物に帰って来るように』汚いのが愚か者の特徴だ。『繰り返す』は、もう絶望的な状態だ。自分の愚かさ、人の愚かさではない。愚か者にも望みがあることがある。自分を知恵者と思い込んでいるよりも。ソロモン自身、そう思ったのではなかろうか。
13-28『なまけ者』の展示会
『道に獅子がいる』と言えばなまけられる。家の中にだって獅子はいるのに。現代流に言えば、転倒するかもしれない、事故に遭うかもしれない。しかし家の中で転倒する率も意外と高い。

『寝台にころがっている』そうは言っても毎日寝てろと強制されたら、うれしいか。しかも寝たきりになると楽ではない。
『犬の耳をつかむ』、面白い表現。そのようによけいな干渉はナンセンス。陰口はおいしいたべもの。週刊誌が飛ぶようにうけるのも。声を和らげる者にご用心。
憎しみは、うまく隠せると思いきゃ、その悪は集会であらわになる。見ている目がある。
穴を掘る者は、自分がその穴に陥る。「天に向かってつばきする」「人をのろわば穴二つ」のたぐい。裁く者は裁かれる。人のちりを除くには、まず自分の目の梁を取り除いてからに。
偽りとへつらうとは、同義語。キリスト者は、真実、誠実をモットーに生きなければならない。主イエスは、悪魔に対して”偽りの父”と言われている。エバは、”あの実を食べれば、神のように賢くなる”と偽り、おだてた。文字通り、滅びにまっしぐら。
『私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんかーⅠヨハネ3:18』
(美浜BBC祈祷会 2013,11,27)