2013/12/08 クリスマスの告知 ルカ1:26-31
イザヤは七百年前に、クリスマスの預言をしたが、今朝はいよいよその告知を見て行くことにしよう。
告知は、ガリラヤのナザレのマリヤになされた。フラ・アンジェリコの「受胎告知」は、天使が立ち、マリヤは少し体を倒している。マリヤの表情はかたく、「もう決まったことなんだから、しっかりしなさいよ」と、教師が生徒を叱っている気配が見られる。レオナルド・ダ・ビンチのほうは、「申し上げましょう」「聞きましょう」と厳粛な雰囲気だ。
「もう決まったことなんだから」。人生のさまざまな面で考えられることば。たとえば結婚にしても、就職にしても、もう決まっていると言われたらどうだろう。私たちはクリスチャンになったのも、自分でなったようなつもりでいるが、聖書によれば母の胎にいるときから「選んで置かれた」とある。毎年この箇所を読んで「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えたマリヤの決断と勇気を称賛するが、実はマリヤの決断よりまえに、神なる主はマリヤというひとりの女性を通して”救い主”をこの世におくることを決断しておられたことを知ることのほうが大切だと言いたい。私たちも人生のひとつひとつの決断をしなけれはばならないが、その背後に私たちの人生に対する神のしっかりとしたご計画があると知って、生きると生きないとではずいぶん差が出てくると思う。
エレ 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
こうしたことをふまえて、マリヤへの「受胎告知」を見ていこう。『恵み28,30』が二回。恵みって何だろう。アドベントは「到来」を意味するが、主イエスが来る、つまり光もいのちもなかったこの世界に、私たちの人生に「恵み」が来た。これがクリスマスの喜び。喜びのなかった人生に喜びが向こうからやって来た。人間とは何か。恵みと出会う存在ということができる。恵みと出合うことがなければ、何の意味があるか。
十代のマリヤにとって『おめでとう。恵まれた方』と言われても、さっぱりわからない。ヨセフと婚約しているから、「結婚おめでとう」と言われるならばわかる。差し迫った結婚を破壊するような形で「おめでとう」と言われるなんて。事実、ヨセフはこの事を伝え聞いて、「離縁しよう」と決心していた。ユダヤの婚約は結婚と同様の拘束力を持っていた。それだけではない。結婚外の妊娠は、ユダヤでは石打の刑で社会的に葬られなければならなかった。恵みは、試練が消え去ることではない。むしろ、どんな試練に遭っても、感謝出来る、それが恵みの経験。
マリヤにとっても、ヨセフとの平凡な生涯の始まりだと胸を躍らされていた矢先、恵みを受けたばかりに、もっと大きな試練をしょいこむことになった。いいかえれば、マリヤはこの前代未聞の試練をしょいこむことによって、これまた前代未聞の恵みを受ける女性となった。マリヤはその後苦労は絶えなかった。夫に先立たれ、我が子イエスは家を出て行き、あげくのはて、我が子が十字架にかけられる悲惨を経験しなくてはならなかった。しかし、マリヤは初代教会の中心的支えとなった。カトリックのように、聖母マリヤではなく、信徒マリヤとして、教会に仕え、みんなを世話をする女性としてのあかしの生涯を送った。
ピリピ 1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。
初代教会の信仰をあらわしている。初代教会は、キリストを信ずることと、キリストのために苦しむことを同格と見ていた。現代人には分からない信仰。信仰を持つことが、苦しむことだと教えられれば、教会から逃げ出す人が大勢出て来るだろう。
しかし四百年前はちがっていた。
フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来日したのは1549年、2年後の1551年に帰国。「もう精魂尽き果てた、自分の限界を試された(イエスズ会への書簡)」。
ザビエルは日本人について「今日まで旅した国においてキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず盗みについてこんなに信用すべき国民は見たことがない。大変心善い国民で、交わりと学ぶことを好む」と日本人に好意的な文を書き送っている。
この後教会は急速に発展し、三万もの教会、殉教者が100万を越えたといわれる。明治初期にキリスト教が解禁されるまで、約250年に渡って、日本人は”踏み絵”を踏み続けた。『日本はアジアで最初の殉教者の国であることを、世界の中でもっとも迫害の激しく、長い過酷な歴史を、ローマの教会とともに持っている』と、日本宣教150年の横浜記念大会で語った人がいる。
十代のマリヤは、殉教者とは言えないが、キリストを信じ、キリストのために苦しみ、祝福を受けた女性の一人と言えよう。
今日は、真珠湾攻撃、もっとも卑劣な奇襲攻撃の日、これがきっかけで太平洋戦争が始まった。その隊長(「真珠湾攻撃総隊長の回想・淵田美津雄自叙伝」)が、回心し、牧師になった手記が講談社から出版されている。キリストを信じることは、キリストのために苦しむことと等しいことを確認して、このメッセージを閉じたい。
(美浜BBCアドベント礼拝 2013,12.8)
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