2013/08/27 【視点・死角】 障がい者の家族関係

●障がい者の家族関係
拒否と受容の二つの反応がある。
①レーナ・マリア(ゴスペルシンガー)
母親のアンナは次のように言う。
障がいをもって生まれた子どものお母さんは、自分の子どもの障がいを自分の障がいとして背負ってしまうところがある。
でもそのような受け入れ方は間違いです。
そのようにしてしまうと、その子の人生は、母親を通してでなければ意味が見出せなくなる。
ちょっと残酷かも知れませんが、その子の障がいはその子の障がいなんです。
お母さんの障がいではありません。
いつか、その子を自分から離さなければならない。
母親が出来る事は、その子を愛し、その子が自分の障がいと重荷を自分で背負う事ができるように見守る事です。
父親ロルフ=鳥は巣立ちの時を迎えると、自分から巣を飛び立って行くでしょ。
でも、なかなか飛ぶ事をしないひな鳥もたまにはいるわけで、そんなとき親鳥はその雛を巣から出しちゃうんです。
マリア=ふたりは主イエス・キリストから力を得て、もっとも苦しい時に支えられて来たのだと思います。
そして、ふたりの主がわたしの主ともなり・・・わたしのもっている悲劇とも言うべき障がいが、真の幸せと変えられるとはだれが想像できたでしょうか。(障がいを光にかえる家族のちからーキリスト教視聴覚センター1994)
この場合、受容の典型的な例である。だがそこまでになるには長い葛藤があった。
子どもの障がい者は母親の障がいではない。
子どもは母親を通してしか生きられなくなる。
これは親子の悪い例である。
社会がそこまで追いやる時、心中という最悪の事態が発生する。
そこまで追いやらないために、社会は、教会は暖かい支援をして行かなくてはならない。